明治時代、長野県安曇野からアメリカに『神の国』を築こうとして集団で移住した人達。彼らはアメリカに移住し、悪戦苦闘しながらも農場経営などを行い、日本とアメリカにおける文化交流の礎となる。その彼らの多くが学んだのが、穂高町にある井坂喜源治の「研成義塾」という名の私塾であった。現社長の久保田は、勇んでアメリカに渡っていった若者達の志を引き継ぎたいという気持ちのもと、自らが立ち上げた会社の名前の由来とした。
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